ロック、茶道、継承すること

遷宮

 

ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズが確かこんなことを言っていました。

「自分はロックンロールの継承者である」と。

つまり、ブルースから生まれたロックンロールを未来へ継承している、その間に立つ人間である、ということです。

人間の想像力はすさまじく、遠い過去や未来を想像することもできるし、宇宙の果てというような遥か遠くを想像することもできます。そして、とてつもなく大きなものや小さなものまでも。

 

茶道を習うようになって、継承することの意味をよく考えるようになりました。型を習って、最初のうちはその真似をして所作を覚えていくのですが、身体を使って何度も繰り返していく内に、だんだんと精神面からも得られるものが現れます。そして、そこに自分の考え方を足したり、工夫をしたりして、新しいものが生まれてくるのです。

 

これは、ロック音楽でも同じことです。聴いていておもしろいカバー曲は、演奏者の新しい考えや工夫がそこに含まれていて、ひとつの新しい形になっています。ままコピーしたのとは違う良さがそこには生まれているのです。ロックから派生してきた音楽を奏でている人たちは皆ロックの継承者とも言えます。ぼくもそのひとりです。自分が死んでしまえばこの世はある意味で終わりですが、死んだ後の世界をどこまで想像できているのか、ということは人生を左右する大切なポイントかも知れません。子どもを持つと人が変わるのは、子どもの未来まで想像し始めるからではないでしょうか。

 

ロックも茶道もこんなことを考えるつもりでやり始めたわけではないのですが(^^;、考えさせられる何かがそこにはあります。もしかしたら人間の営みなんて、何をとっても「継承」というところにつながっていくのかも。ぼくは、その継承する行為そのものが、文化というものを高めてきたもっとも人間らしい部分なのだと思うのです。