写真、音楽、本、デジタルで軽くなった行為やもの。

道端で寝るりゅうちゃん

 

猫の写真集や犬の写真集が流行っているのか、書店で目に付きます。また、ウェブを少し探せば、いくらでも可愛い猫や犬の動画、画像を見ることもできます。本当に手軽で良い世の中になったものです。少し前には決定的瞬間と呼ばれていたようなものがむしろ沢山あふれています。どうしてこんな素晴らしいことになったのかといえば、やはりカメラのデジタル化と携帯電話にカメラが付いたことが大きな要因です。

 

19世紀の終わりに、コダック社がフィルムとかコンパクトカメラを発売し始めたときにも大きな変化があったと思われますが、それ以上に携帯電話にデジタルカメラが付いたということの影響は甚大です。デジタルカメラではフィルム代がかかりませんので、そんなに一枚一枚に入魂する必要もなく、とにかくパシャパシャ撮れば良く、画像の補正も写真屋さんにお願いしなくても、写真屋さん(Photoshop)という名のソフトを使えば誰でも手軽にできるようになりました。

 

結果、写真を撮るという行為がとても軽くなりました。これは写真に限らず、音楽制作、音楽を買うこと、聴くこと、本を読むこと、文章を書くこと、などにおいても言えることでしょう。ぼくも高校生のときにはレコードを買って聴くということをしていましたが、それはそれは一大事で、レコードを買ってきて、友達を呼んで、正座して、ほないくで、と針をレコードに落としていました。その頃に比較すると、音楽を買うことも聴くこともはるかに軽くなりました。

 

軽くなったからダメだ、ということを言いたいのではなくて、ますます本質的なところに目を向けなければいけないよね、ということを言いたいのです。手間暇かけるプロセスこそ大切だ、と思う人もいるでしょうし、最終的に出力されたもの、それが大切で、プロセスなんてどうでもいいんだ、という人もいます。だからこそ、音ってなんだったっけ、写真ってなんだったっけ、なんていうところを個人個人で考えていかなければならないのだと思います。自分がどうそれと関わっていくのか、ということを。

 

現代医学が研究を進める、再生医療の世界は、生きるってなんだったっけ、ということすら考えなければいけなくなる世界となるでしょう。早めに備えたいものです。

 

なんだったっけなぁ。