フィギュアスケートの採点がおかしいと感じる理由とバンドを長く続けられる理由

プー

 

冬季オリンピックが開催されてます。フィギュアスケートの採点が素人には難しく、観ていて良かったと思った選手の点数がそうでもなかったり、面白くないなぁと感じた選手の点数が高かったりします。

 

専門的な見方をすれば、技術の必要なものは明確であり、それが点数を引き上げているという理屈は分かります。しかし、演技をする順番であったり、会場の雰囲気であったり、表現をする方向性の違いであったり、さらには観ている人の状態であったりがその演技の印象に大きく影響を及ぼすことは歴然としています。観ていて良かったと感じることと採点結果とのズレがどうしても気持ち悪いのです。それは、フィギュアスケートの演技が表現だからではないでしょうか。

 

ロックがオリンピック競技に決まりました。なんてことになったらどうでしょう。

 

ハンマリングオン、プリングオフ!そして見事なチョーキングを決めました。ここのフィルでのハイハットオープンは加点が期待されますね。指弾きによるこのフレーズのコンビネーションは高い技術点が加算されます!ここのハーモニーも出来栄え点が高く付くことでしょう!

 

こんなことで高得点が出ても、肝心の表現の部分で何にも感じないようなものだったりすれば、そこのズレ、違和感は相当なものでしょう。フィギュアスケートの採点に対する違和感って、これなんだと思います。

 

表現を数字にすることに無理があるのです。売れている(つまり売り上げという数字が高い)ロックバンドが聴いてみて良いかということは別問題であることと同じです。

 

ぼくたちはおそらく自分たちが良い!と思う音楽を作っていて、奏で表現しています。もしもそれをあなたが良いと思ってくれたなら、それはとてもうれしいことです。そう感じてもらえなくても本来はどうでも良いことなのですが、そこのところの心境は複雑です。ただ、絶対にこのアルバムを売りまくらねばならないなどという数字に対する焦りを持たなくても良いアマチュアである、ということは気持ちが軽く、このバンドを長く続けられている理由でもあります。