これが最後かもしれないと思って生きること

一期一会の猫とシーサー

 

茶の湯の世界に一期一会という言葉があります。とても簡単に言うと、いまのこの瞬間は一生に一度ですよ、という意味です。無常という言葉にも似ていて、明日また会うことが決まっている人との今日の日も、もちろん二度と同じ瞬間はありませんので、一生に一度です。そのような心構えで茶の席にあたりましょう、という言葉です。

 

皆平等に、必ず死にます。そして、それがいつであるか、は基本的には分かりません。そして、しばらくは死なないんじゃないか、また会えるのではないか、という前提で今日を生きていることが多いように思います。ところが、病気を患って余命を宣告されたり、退職が決まってあと数ヶ月でお別れ、とか、解散が決まっているバンドのライブがあと数回、とか、そういう状況になって初めて、その日の瞬間の「かけがえのなさ」を意識するようになります。

 

最後や最期を意識して、初めて一期一会が思い出されるのです。

 

かと言って、ぼくは毎日、「今日がオレの人生最後の日かもしれない」なんていう生き方はできませんし、嫌です。やっぱり、明日もあさってもあるんだ、という気持ちのまま、今日の日を生きたい。ということは、これまでの生き方となんら変わらない、ということかな。いやいや、こうしてたまに、いつ終わるともわからない人生である、ということを思い出す、ということが大切ですよね。せめて、もっと頻繁に今日のありがたみを噛みしめるように生きたいです。

 

今日、この文章を読んでくれてありがとうございます。

また明日!