利害を伴わないつきあいだから生まれるもの

というものがあると思います。幼なじみだからこそ生み出されたものや兄弟だから作れたものなど。このような関係性ができあがるにはかなりの運やタイミングが必要です。特に親族でなく、赤の他人であるけれど利害を抜きにした友人関係というものは大人になってからでは築き難いものです。だからこそ、とてつもなく価値のあるものだと思います。

経験的に考えると、利害を伴わない友人関係というものは、二十歳くらいまでにできた友人ではないでしょうか。大学生や社会人になると少なからず利害関係が出てくるように思います。しかし、この利害関係を軸に据えると、関係はとても楽になります。利があるかないかで、つきあいを判断すれば良いので非常に簡単です。

仕事上の付き合いは、ほとんどがこの「利があるかないか」の関係ですので、悩むことも無駄だと言えます。

一方、幼なじみや、真に利害のない友人関係が生み出したり作り出したりするものは、利害関係がある者達には決して真似のできない凄みが存在するように感じます。一銭も儲からんのにようやるわ阿呆ちゃう、というようなものを目の前にすると口ではそう言いながらも人はそれに圧倒されます。

ただただ友人と誰の利も考えずに何かを作る。このようなことができたときには、くすぐったいような恥ずかしいような、そんな気持ちになります。そのような気持ちを共有できることにこそ、友人の良さがあります。

独りでなら、利を考えずに何かを作る喜びを味わうことは容易です。が、誰かと、となると前述のように高校生くらいまでに利害関係のない友人を作っておく必要があります。その後でもできなくはないでしょうが、おそらくできる可能性は低い。そして、もっと厄介なのは、利害関係がない友人同士であったのに、作ったものが売れてしまったりして、利を生み出した場合です。もしくは、どちらか(誰か)が自分の利を考え始めたとき、すべては崩壊してしまいます。

ラジカセに友人とふたりで自分たちの声を録音して、再生ボタンや巻き戻しボタンを駆使して、変な声にするという遊びをやっていましたが、あれはおもしろかったな。ああいうことをまたやりたいな。

阿呆言うてやんと寝よ。