プロ柔術を観戦して、楽しい細部を思う。

プロ柔術を観てきました。
ぼく自身柔術をはじめて1年が経過し、少しは怪我しにくくなり、少しは技をかけられるまでの時間が長くなったりしてきました。結局やられてしまうのですが…(・_・;
1年程度の初心者でも、自分がやっている分、ルールも知っていますし、キワの攻防なんかも多少は分かるようになってきているわけです。なのでとってもおもしろかったです、プロ柔術。

 

ブラジリアン柔術の試合では、片方が上になっていて有利に見えたとしても、実は下になっている人のほうが相手の動きを封じ込めていて、攻めている、なんていうことがあります。なので、プロ柔術の会場でも、「相手の脚が1本自分の脚にかかっているのだけど、それをなんとか外して自分の脚を抜いて、相手の横について抑え込む」という瞬間を観ながら、「おおおお!」なんて盛り上がっているわけです、柔術を知っている(やっている?)人たちが。その「キワ」は本当におもしろいのですが、柔術を知らない人にはまったくもって分からないことだと思われます。この人たちは何で盛り上がっているんだろう状態です。

 

ボクシングだと、よくルールを知らなくても、どっちが勝ちそうだ、ということが比較的分かりやすいような気がします。柔術という競技の一般への普及にはこの辺りをどうするかということが必要なのは明らかです。しかし、これは柔術に限ったことではないですね。

 

ぼくたちhot buttered pool の作っている音楽だって、ひょっとしたらほんの数人にしか気づいてもらえないのではないか、という細部に一生懸命に時間を割いて悩んだりしているのです。何をやってるんだか、と感じることもよくあります。でもそこが楽しい。

 

あ、茶の湯もそうですね。
稽古すればするほど、細部が研ぎ澄まされていきます。そうすると見る目も養われていって、お茶碗の縁に親指がかかっているといった些細なことがようやく気持ち悪く思えたりするのです。

 

どんな道でも、細部を詰めていくことに意味があるんですよね、きっと。
いや、意味がなくてもおもしろみがそこにあるんですね。
それに気づくから、続くんだろうな、と思います。