犬と暮らせる時間。稀少価値と人生の残り日数。

  • 2020年8月22日

犬と暮らしはじめて、犬をなでる機会が沢山あります。

だらんと横たわって、大人しくなでられている犬を見ていると悲しくなってきます。横たわっているのを見て、この犬が死んだときのことを想像してしまい、悲しくなるのです。我ながら阿呆だなと思うのですが、何度もそうなってしまいます。

どうしてそのようなことに陥ってしまっているのかということを考えてみると、必ず自分が犬より長生きをするであろうという思いの傲慢さが垣間見えます。犬は10年から長くて20年ほどが寿命であり、人間が80年くらい生きる動物であるから、そこに人間のものさしを当てて、勝手に悲しがっているわけです。

死は、いつどこに訪れるのか分からないのですから、お前の死を看取るときオレは悲しい、というのは傲慢です。

それでも、死を意識するということは大変重要で、きっかけがこのような傲慢であっても、いつなんどき別れが来るやもしれない、ということに気を留めるのは価値のあることだと思います。

人生も後半に差し掛かってくれば、残りが少ないので、一日の価値が上がったように錯覚します。誰もがなんとなく80歳くらいまでは生きると思っており、それを分母に考える結果なのでしょう。15歳のときは、80歳までは65年ありますから、65年あるうちの一日をボーッと過ごしても大して無駄にした感じはしないでしょう。ところが、79歳ならあと1年あるうちの一日をボーッと過ごすわけで…。

いや、1年あったら一日くらいボーッと過ごす贅沢もありかも、とも思えてくる。「贅沢」と言う時点で相対価値が上がっていて、稀少である我が人生の残り日数よ、という考えになっているのだな。

ともかく、明日に突然お別れが来るということは常にあるわけで、そのことをたまには意識して犬や人との生活を楽しみにたいと、犬や人と戯れながら考えています。顔を上げれば床の間に「一期一会」と掛かっておったわな。

阿呆言うてやんと寝よ。