お茶室のようなオキーフの家

 

ゴーストランチ

 

オキーフの家を観てきました。
これまでは写真でしか観たことのなかったところに訪れて、その空間に身を置くと、気配を感じました。もちろん、そこにオキーフは居るはずもないのですが、なんとなく、留守におじゃましているような、そして、もうすぐ帰ってきそうな、そんな感覚がありました。

 

ぼくはオキーフの絵そのものよりもその生き様に興味があります。実際に会ったこともないので、どんな人であるか正確には分かる由もないのですが、部屋や残されている発言や伝記などを読んだ上でのことです。その精神には、間違いなく日本文化の茶の湯や禅に対する影響もみられます。そんなところがまた、ぼくの興味が惹きつけられるところなのだと思います。

 

オキーフの家のキッチンには、誰かからプレゼントされたのか、はたまた自分で購入したものなのか、鉄瓶が置いてありました。中国茶を愉しんでいる写真なども残っていますので、おそらく、鉄瓶で淹れたお茶がまろやかになって美味しいということも知っていたのだと思われます。

 

自分もそうですが、モノを捨てたい、と思い始めていろいろ処分し始めると、確かに部屋は片付いてきますが、何だかだんだんと殺風景になっていきます。それが実際に心地よくもあるのですが、一方で粋ではないとも感じます。しかし、オキーフの家、部屋を観ていますと、モノは確かに少なそうだけど、まったく殺風景ではないのです。

 

一つには、自然のものを取り入れているということが挙げられます。拾ってきた石や水牛の骨などが家のあちこちに置かれています。さらに生前はお花もそこここに生けられていたようです。結果、それらのものが合わさって、モノは少ないけれど殺風景ではない、居心地の良い空間が作られているように思うのです。

 

それは、まさに床に花が飾られたお茶室のようでもありました。