イマジネーションのトレーニングができる茶道

ふき寄せ

 

インターネットが90年代半ばから幅を利かせてからというもの、何でも手軽に見たり聴いたりすることができるようになりました。大変便利で、ぼくも、はは~ええ世の中になったなぁ、とそのありがたみを日々感じております。しかしその反面、失われたものも沢山ありますよね。その中でも大きなものは、「想像・妄想する力」ではないでしょうか。

 

かつて、物を調べるためには、その場所まで行くか、知っていそうな人の目星をつけて訊くとか、図書館に行って関連の本探すとか、そういうことをしなくてはなりませんでした。今はネットで調べれば大体のことはわかるようになったのですが、ここに問題があります。ネットがなく、訊ける人もおらず、となれば、自分で想像して補う必要があります。この段階がとても重要だと思うのです。

 

ギターで言えば、一体このギタリストはどのポジションでどういう風に弾いてるんだろうか、などと想像して試行錯誤する段階です。男の子の性で言えば、一体女の人の身体ってどんな形なのか、デートってどんな感じなんだろうか、セックスって何するんだろうか、ってことを想像し、妄想する段階です。たいていは、これらの想像や妄想は間違っています。ところが、その間違っている部分から突出した芸術的な表現が生まれてくるものです。なので芸術性を高めたければ、積極的にこのイマジネーションの力を鍛えれば良い、と思うのです。

 

そして、イマジネーションのトレーニングには茶の湯がおすすめです。そこには季節に応じた道具の取り合わせがあるからです。茶碗や茶杓にはそれぞれに「銘」という名前が付けられています。なので、冬が近づけば「木枯らし」「霜柱」「薄氷」「暦売り」というような銘の付いた道具が使われます。招かれたお客さんのほうは、道具それぞれの銘を聞かせてもらうことによって、床(とこ)に飾られた掛け軸やお花、お菓子などとの関係を読み解き、季節との兼ね合いや、言葉と言葉の間から生まれてくるストーリー、情景をイメージするのです。

 

ぼくのような茶道初心の者には、道具の取り合わせなんて、まださっぱり分かりませんが、道具相互の関係からストーリーをイメージしてみるというトレーニングは、自分で何かを表現するときにも役立っています。それにこれは、とても日本らしい遊びでもあります。日本らしいロック音楽のスタイルという一種矛盾するようなものを目指して、hot buttered pool は妄想を重ねているのです。