先日は、根津美術館へ行き、井戸茶碗を沢山観てまいりました。美術館などで茶碗を拝見する時は、観ながら、使われた場面を想像します。戦国時代、どんな武家の人がどんな感じの茶室でこの茶碗を使ったのだろう、という感じです。茶碗を美術館で観るということは茶室でそれを観るときとは大きく違います。まず、手に取れないし、ましてやそれを使ってお茶を飲むことも叶いません。だから懸命に想像をするのです。
茶碗に茶入れから濃茶が回し入れられて、そこに茶杓からお湯が注がれ湯気が上がり、茶筅でていねいに練り上げられていく。厳粛な雰囲気のなか、茶筅が茶碗の底を掻く音が聞こえてきて、客人たちが息を飲んでその点前を見ている。そしてほのかに茶の甘い香りが茶室に立ち込めてくる。
と、このようなことを考えます。
でも、どうしても茶を飲む瞬間の茶碗に口をつけるところが想像しきれません。そこはやはり自分で口をつけて飲まないと分からないところです。
樂茶碗などの手びねりの茶碗には、口をつける部分にも気を配って作りこんでいるのだろうと感じられるものがあります。客が、丸い茶碗のどこから飲むかなんて分からないじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、茶碗には正面があるため、必ず客に正面を向けて出されます。つまり飲む人が茶碗のどの部分から飲むのかが分かるわけです。
お茶をいただこうと、茶碗に口づけをしたその瞬間、その感触から伝わるものもあるのです。あの井戸茶碗に口づけたら、どんな気持ちがするのだろう。