茶道の美の源泉!根津美術館で大井戸茶碗 銘「喜左衛門井戸」を拝見

井戸茶碗@根津美術館

 

 

名器多しといえども「喜左衛門井戸」こそは天下第一の器物である。茶碗の極致はこの一個に尽きる。茶美の絶頂がそこに示され、「和敬清寂」の茶境がそこに含蓄される。かかる美の泉から茶道の長い流れが発したのである。

 

と、「茶と美」という本の中で、柳 宗悦(やなぎむねよし)に言わしめた茶碗があります。それが、銘を「喜左衛門井戸」という大井戸茶碗です。数少ない国宝茶碗のうちのひとつです。その茶碗を観ることができるということで、東京南青山の根津美術館で行われている「井戸茶碗 戦国武将が憧れたうつわ」という展覧会に行ってきました。

 

大井戸茶碗だけでも39点、その他、小井戸や青井戸と呼ばれるものなども含めて約70点もの井戸茶碗が並んでおりました。70点のお茶碗拝見は、結構くたびれましたが、これだけ見比べることができると、「喜左衛門井戸」の美しさのポイントもつかみやすかったように感じます。茶碗の下の部分、梅花皮(かいらぎ)のゴツゴツした感じや、飲みくちである縁の歪み、その特有の色合いや模様など、他の井戸茶碗とは違う、というところが沢山見受けられました。

 

しかし、本質はそこにはありません。釉(くすり)の掛かり具合や色合い、形、そんなものはどうでも良くて、この茶碗を美しいと捉える心こそが茶道の精神のはじまりである、というところのほうがやはり重要なのです。

 

茶道の稽古を始める前であれば、ただの茶碗だったと思いますが、いまは違います。これを美しいと思える考え方、感じ方を、いま一生懸命に学んでいるからです。「教えてもらわないと分からない美なんて、自然な美ではない!」と考えていた時期もありました。ですが、茶の湯における美というものは、そこに踏み入れて、習って、体得していくものです。それは茶道に限らず、書道を習っていたときにも感じたことです。

 

自分が付いた「師匠の考える美しさ」をまずはまっさらに受け止り、真似をしていく、突き詰めていくと、やがて自分のやり方のようなものがそこにほんのりと流れていき、自分の形となるのです。「稽古」という形で受け継がれてきたものの、そのやり方は、とても日本らしい。その継承方法にこそ、日本人の素晴らしさ、大切にしてきた美、を見いだせるのではないでしょうか。

 

ただお茶を飲むことが茶道になり、ただの飯茶碗が大名物の茶碗になる国。

おもしろいところに生まれました。

 

 

表紙を飾っているのが「喜左衛門井戸」です!

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