ドラえもんも好きだけど、パーマンも大好きでした。それはなぜかというと、変身するからです。普段は普通の小学生が、パーマンバッジを付けて「パー着」すれば、世の中の困っている人を助けるヒーローになる、という設定がとても好きだったのです。
同様の理由で、バビル2世も好きでした。好き過ぎて、ロプロスがうちの団地に迎えに来るという夢を何度か見ました。ここでもポイントは、学生服着ている普通の少年が、実は遠い昔に地球にやって来た宇宙人の末えいで、という設定です。
幼いころ、この「オレには違う顔がある願望」がとても強くあったようです。
しかし、よく考えてみれば、20代のころ、ネクタイを締めて働くサラリーマンをしながら、夜にはギター持って暴れ倒すようなバンド(大袈裟に言ってますよ)をやっている、ということも楽しかったです。得意先でペコペコしてても、満員電車で吐きそうになっていても、なんとか生きてこられたのは、「オレには違う顔がある」という気持ちがそこにあったからかもしれません。
人にはいろいろな顔があって当然で、そのことで生きることのバランスを取っているのだと思います。それをすべて透明にするのはどうかと思います。そういう意味でFacebookでのつながりはむつかしいな、と感じています。皆、その辺りうまく使っているのでしょうか。
ここでは、hot buttered pool としてのぼくのことを書いていますが、それは割とぼくの中では大部分を占めているものだと思っています。