禅が何であるか、ということは軽々しく言えないのですが、「食べる瞑想」というのも寝ているみたいなので、「食べる禅」としてみました。坐禅の食べる版というイメージです。軽々しい表現ですみません。 坐禅にもさまざまなアプローチがあって、これが坐禅だ、と断言しにくいのですが、到達点は、「只管打坐(しかんたざ)」ただ、坐るということです。ということは、食においてもただ食べるということになるのかも知れません。が、それは、道元の残した典座教訓を読み解かなくては語れないところでしょう。 関連記事:坐禅と瞑想の違いは「する」か「しない」か
只管打坐の境地に至るのはなかなかむつかしい
只管打坐の境地に至るまでに、その導入としていくつか方法があります。その一つに「呼吸を数える」というものがあり、坐禅初心者に薦められる方法です。その他にも、流れていく考え事をただ受け流していく方法や、念仏をひたすら唱える方法などがありますが、きっとそれらすべては「いま、ここ」に集中するための方法であり、目的は同じです。坐禅の入り口は、現在に集中することなのです。
食べるときに現在に集中してみた
坐禅の導入と同じ方法で、食事してみました。味わうことに集中するのです。すると口の中で舌がすごい動きをしていることに気がつきました。40年以上も日に何度も食事をしていて、はじめてそんなことに気づいたのです。舌は右へ左へと味を確かめながら、ときに異物でも混じっていないか、ということまで気にしながら動き回っていました。以前から不思議に思っていたのですが、口に入れた食べ物に異物が入っていたら、気がつくこと多くないでしょうか?人間ってよく出来ているなぁ、と感心するわけです。
せめて食事中のスマホや新聞をやめる
こんなときしか情報収集できないんだから、という感じで蕎麦すすりながらスマホや新聞雑誌を眺めている人がよくいます。ぼくもよくやってました。しかし、何食べてるかよく分からない感じで食べるのもどうなのか(舌は無意識でも異物を発見してくれますが)、と思い直して、できるだけ食事に集中するようになりました。 すぐに何の効果がある、というものでもありませんが、現在に集中する訓練としてもおすすめですし、何より舌の動きを観察するだけでもやってみる価値がありますよ。舌が無限大描いています。^^