カメのように生きたい。

カメリ

 

ここのところ、物を捨てることや仏教について思いを巡らせることが多く、よく考えております。捨てたい!という欲求の裏にしがみついておきたい過去が山のように存在します。理屈では分かったようなつもりになっても、これらを手放すことはどうにもむつかしいのです。

 

うちには10歳のクサガメがおり、たまに水槽から出して散歩をさせます。カメがどの程度物事を記憶するのかをぼくは知りませんが、あまり記憶していないように見えます。

 

散歩中に行方が分からなくなると、エサの容器をマラカスのように振って音を立てますと、それに呼び出されるような形で、隠れていたところから出てきます。掴まれて水槽に戻されるのに、必ず出てきます。甲羅を掴むと、あれ?嫌だ嫌だと新鮮な感じでジタバタしはじめるのです。何回もされてるだろ…。

 

冬場には、ヒーターの熱風が吹き出している部分を覗き込んでしまい、あちあちあちと手で鼻の先端をこすります。あちーっとなっているところ申し訳ないのですがとても可愛い仕草です。これも毎回やります。学習しません。

 

覚えりゃいいのに、と可笑しく思うこともあります。しかし、ぼくはこのように生きたい。カメのように生きたい。少しの過去と少しの未来だけを持って、しっかりと現在に向き合いたい。それが理想です。