不良が機能しなくなった日本

機能しなくなった不良

 

マンガやアニメの世界の人たちって、基本的には歳を取りません。なので、ぐんぐんこちらが追い越してしまうことになります。周りでも皆が話題にしたのは、やはり「41歳の春だから」のバカボンのパパです。40歳を越えるとまもなく、バカボンのパパ超え、も余儀なくされます。サザエさんのあなごさんに至っては27歳という設定だそうです。あんなおっさんが年下か、と考えるとがっかりしますけど、それだけ、自分も歳を重ねてきたのだということです。

 

いつの世代もそうだったのでしょうけど、若い世代とのギャップを感じるようにもなりました。これがあの「最近の若いもんは」か、と思います。最近の若者はこれこれだからイケナイ!ということではもちろんありません。

 

若者を見ていて、こう感じるのです。「不良がまったく機能していない」と。

 

従来、不良は「反体制」として態度でそれを示してきました。体制に従う、体制側が期待する姿をもちろん理解した上で反対の態度を示していたのです。なので、他人が不快に思うであろうことを理解した上でやっていたように思います。今の不良たちは、どうしてそれが人を不快にさせるのか、本気で分かっていないでやっているように感じるのです。

 

しかし、これは若者の問題ではなくて、社会がそうなってきたのだという風にも理解できます。昭和の時代ほど、社会全体の共通的な価値観が共有されていません。価値観が多様化し、目的を見失う人が増え、自殺者が増えて、自分探しなんてものが流行するようになったのです。ある意味これは、社会での成功よりも自己実現が優先された結果です。

 

大衆が体制に逆らわないようになるとげ抜きは1970年代ごろから徐々に始まっていって、現在も進行中です。なので、やっぱりこれは「最近の若者問題」なのではなくて、なるべくしてなった日本社会の姿なんだと思います。体制に刃向かえなくなったから、不良の姿が変わったのです。そして、社会で認められることから距離を置いて、好き勝手に生きられればいいさという考えが広がった結果、反体制の象徴として機能していた不良が、今の社会では機能しなくなったのだ、とぼくは考えます。