ぼくは中高一貫校に通っておりました。中学入学当初から、センター試験を受けることは当たり前、国公立の大学を目指すことは当たり前、みたいな空気の中で生活しておりました。高校受験はありませんので、ズルっと高校生になります。詰め襟の学生服のボタンを高校の物に付け替えるだけです。
中学生ぐらいのときは、何の疑問も抱かずに勉強していましたが、高校生になってようやく、自分が何者なのかというようなことを考えるようになりました。ぬるま湯に浸かっていたので、自我の目覚めというか、そのようなものが遅かったように思います。なので、何かになりたいと強く思うこともなく、ぼんやりと受験に向かって生活していたのです。
自分が何者で、今後何になって行くか、ということをようやく考えるようになると、数学や化学が何に役立つのかさっぱりイメージできず、やらなくなっていきました。ぼくのクラスは(希望を聞かれたこともなかったのですが…)理数科で、なぜか全員が理系に行く雰囲気を持っていました。しかし、数学や化学を勉強しなくなったぼくは「理数科文系コース」という無理矢理な名称のコースに振り分けられました。実質的には5人だけの「お・ち・こ・ぼ・れ」のコースです。
今日この文章を書こうと思ったのは、「ある科目が何に役立つのかを、まず最初に先生が明確に示すべきだ!」と、教育に対して提言しようと考えたからです。が、書いているうちにどうでも良くなってきました。勉強しなかったのを先生のせいにしてはいけません。その先をイメージできないのは自分の責任です。そして、その学問を好きになることに「役立つかどうか」は関係ありません。自分は音楽を好きでやり始めました、そして今も続いていますが、役立つためにやってるわけではありません。茶道もそうです。役に立つことは続けている中から出てきますが、続けるきっかけは役立つかどうかではないことに気づきました。
でも、たとえばある科目の先生が、その科目に興味を持ってもらおうと考えているのであれば、実生活、もしくは将来、それがどのように役立つことがあるのか、ということを最初に説明することはとても良いことではないかな。ただただ教養のため、なんてつまりません。
参考リンク:微分や積分って、何の役に立つのですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012052445