茶の湯の世界では、道具の由緒を尋ねるお道具拝見コーナーがあります。茶碗や茶杓はどなたのお作なのか、どんな銘が付いていて、どなたがそれを付けられたのか、とか、茶入れを入れる仕覆の裂地はどこで仕立てられたものかとか、そういうことを尋ねるのです。また、お茶の銘や詰め(どこで精製されたか)なども尋ねます。要は、「どこから来たものか、誰がこしらえたものか」を訊くのです。
20世紀は大量生産の時代でした。ぼくも70年代80年代を若いときに経験しましたので、とにかく大量生産、大量消費が素晴らしい!というような価値観で生きてきました。90年代はバブルが弾けましたが、まだまだその名残りがあって、物質的な価値観を持って生きてきたように思います。
しかし、21世紀になった辺りから、この世界の価値観もシフトしてきたように感じます。いつまでも大量消費の時代ではない、と全体が考え始めたように感じます。それはデジタルによって、「写し」の域を超えて、本当に寸分違わず同じものをコピーできるようになってしまった頃を分岐点にしていて、インターネットがそれを加速させました。
時代は常に揺れていて、「揺り戻し」と言えるような状態が定期的にやってきます。だから最近、食品でも商品でも「どこから来たものか、誰がこしらえたものか」がまた重要視されているのです。
最近、窯元をいろいろ訪ねる機会がありましたので、作り手から直接購入させてもらった器で食事をすることが増えました。使うときの気持ちがまったく変わりますし、それは食事の態度にも影響し、もしかしたら味わいにも変化があるようにも感じます。80年代や90年代にはこんなことあまり考えませんでした。
ぼくも含めて世界はいま、自然な流れでバランスを取ろうとしているのだと思います。