吉本隆明さんの評論

ぼくは評論家が嫌いでした。
なんだか、人の作ったものについて、横からものを言って、それで、お金をもらっているような人たち、というイメージがあったからです。自分で作ってもいないくせに、何言ってやがるんだ、と、こう思っていたわけです。

 

しかし、先日亡くなられた、吉本隆明さんの評論を聞いたある日、その認識は変化しました。

吉本さんは、夏目漱石の「吾輩は猫である」についてお話されてました。その中で、猫の視点の変化について、指摘されます。物語の最初のほうでは、猫からの目線で物語られているものが、最後のほうでは、部屋の上から俯瞰した状態で、物語が進行していく、というのです。

狙ってそうなったのか、書いている内にのめり込んで、そうなってしまったのか、いろいろ考えるきっかけになりました。小説への近づき方をひとつ教えていただいたような気持ちでした。

作品への切り口を提示してくれるような評論はいいものだな、と、ぼくも考え方を変えるようになったのです。

 

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hot buttered pool のアルバム「茶人的猫 / ZEN CAT」の「茶人的猫」は、「吾輩は猫である」の一節から拝借いたしました。所詮猫なんですが、そんな猫が「吾輩は茶人的猫であるからして」などと、風流ぶって語る様と、外国の音楽であるロックを、日本語で歌っている自分たちを重ねています。

 

何周も堂々巡りを繰り返し、hot buttered pool は存在します。言葉や音楽の文化的なジレンマを全身に感じながら。

 

なんとかね。