1980年頃に大ブームとなったルービックキューブ。本物が手に入らないくらいの流行でした。当時、父親が買ってきてくれたキューブも本物ではありませんでしたが、とても興奮したことを憶えています。手に入れた日、寝床でずっと遊んでいました。その日のうちにひとつの面を揃える方法を見出しました。10歳のときでした。夢中になりました。世の大人たちも夢中だったのだと思います。
ある日、父親が、ルービックキューブの攻略法が書かれたプリントを持って帰ってきました。パソコンもウインドウズもワードもない時代です。手描きのイラストと文字で攻略法が描かれていました。小学生には攻略法の攻略からして難しいものでしたが、何とか読み解き、自分のものとしました。
そんな経験があり、ぼくは今でも2分くらい時間をかければ6面体を攻略できます。
先日、ルービックキューブ世界チャンピオンのドキュメンタリーをNetflixで観ました。2分などと悠長なこをと言ってません。5秒とか6秒とかそのような世界でした。しかし、それがどのような世界であるか、は少し理解できます。おそらく、競技者はあらゆる場面に適した、キューブを動かすパターンを習得しています。そのパターンを組み合わせることによって、6つの面を揃えるのです。競技では、下見をする時間が設けられています。ここで、どのパターンを使って(組み合わせて)攻略するか、という戦略を立てます。そのときが一番頭を使う瞬間でしょう。
揃えることを始めてから頭を使っているようでは、5秒では揃えられません。始まれば、いかに速くキューブを回せるか、という肉体的な勝負の色合いが濃くなるのではないでしょうか。
ブラジリアン柔術でも同じことです。上級者は多くのパターンを持っています。そして、相手が何かリアクションしてきたときに、そこへどのパターンを使えばよいか、ということを瞬時に判断しています。技をかけ始めれば考えていては遅いので、そこからは肉体的なものとなります。
何か適切なタイミングが来たときのために、できることを反復練習しておく、というのは、どの世界でも通用することなのではないでしょうか。
いまだにルービックキューブを揃えられるということは、一見無意味ですが、40年も月日が経てば、そこに人生を見出すこともできるようになるものですね。
阿呆言うてやんと寝よ。