お釈迦さまの入滅。お茶の先生が亡くなった日のこと。

夏の暑い日。先生はお亡くなりになりました。

その日の朝、お茶のお稽古日でしたので、いつもの通り朝から先生のご自宅でもある稽古場に参りました。その頃の先生は、癌を患い疲れやすくなっておられたので、少し稽古をつけては、ちょっと席を離れてお休みになる、という感じでした。でも、その日は最初から先生の席は空いていました。そして、弟子たちによる自習が始まりました。

少しして、先生の娘さんが、先生が呼んでいるので、と声をかけてくださいました。弟子たちは先生の寝ておられるベッドまで案内されました。ノーメイクの先生を初めて見ました。いつも人前に出られるときは髪を綺麗にセットし、お化粧もされて、お年を召しても気を抜いたところのない方でした。そんな先生が、その日は髪は乱れてお化粧もなし、という状態だったのです。

その日の朝、先生は「私危篤」とおっしゃったそうです。「何を冗談言うてるの?危篤の人が自分のこと危篤って言わへんわ」と家族は笑って返したそうです。

弟子たちがベッドに横たわる先生を囲みました。先生のご様子から、最期が近いということがわかりました。皆そう感じていたと思います。代わる代わる先生の手を握りながら各々会話しました。声は先生を励ます調子なのですが、皆涙を流していました。先生は明日の話をすると、もう明日はないという風に首を振られていました。目はほぼ閉じたままでしたが、会話のやり取りはしっかりとされていたので、明日がない、ということをそのときは信じられませんでした。ベッドの周りで弟子たちが泣き崩れている様は、お釈迦様の入滅を描いた涅槃図のようでした。

先生は皆に「はよ稽古に行きなさい」とおっしゃいました。ぼくは会話の最後に「あんた、頼むわな」と、言われました。80キロの相手にマウント取られるより重たい言葉です。

稽古場に戻り、自習を続けました。

その日の夜、ぼくは扇町パラダイスでライブをしました。endless sight という曲を演奏するとき、先生を思いながら歌いました。出番が終わり、ライブハウス裏の自動販売機で飲み物を買いました。ふと道路の方に目をやると、よたよたしたおばあさんが大きな買物袋を片手にタクシーを止めようとしているのが見えました。なかなかタクシーを止められないようでした。ぼくは、代わりに道路に出て行って、タクシーを止め、おばあさんをタクシーに乗せて見送りました。夜の8時過ぎだったと思います。

翌日、先生の訃報がメールで届きました。夜の8時過ぎに息を引き取ったということでした。