柔術と茶道の稽古をするだけで謙虚になれる

かもしれない。
柔術と茶道はとても似ています。
いや、似ているところを経験上見つけることができるからかもしれません。歳をとった強みです。

格闘技をやる上において、ぼくは身体が小さいほうです。ジムでもぼくより体重の軽い人はほとんどいません。ボクシングをはじめ、多くの格闘技では、階級性が敷かれ、細かく体重で振り分けて、対戦が行われます。無差別級というのは、そういうの関係ない闘いです。つまり、ジムでの練習は無差別級であり、身体が小さい人のほうが大体不利になります。小さい人が大きい人に勝つためには、方法はありますが、限定されてしまいます。なので、その練習が楽しいかというと、限定される分、いろいろ試せなくて不完全燃焼に終わります。それを知っているので、自分より軽い人と練習する場合は、なるべく力をセーブして、体重を全部かけず、技で勝負をするように心がけています。そのようなことに気づくまでは、3年くらいかかりましたが。

いくら経験が長かろうが、帯の色が上だろうが、体重の差というものは大きいです。格闘技をやっている人が皆そう思っているかどうかは知りませんが、大柄で力が強い人がやっぱり強い、とぼくは思います。なので、少し柔術をしているからと言って、喧嘩が強くなることはありません。むしろ、大きい人に抑えつけられたり、乗っかられたりすればひとたまりもない、ということが柔術の稽古を通じて知ることができます。

ブラジリアン柔術は護身術としてブラジルで発展しましたが、最高の護身は闘わないこと、に尽きます。
ブラジリアン柔術の稽古をすることで、よく分かることは、世の中には強い人が沢山いる、ということです。結果、大変謙虚になれます。

さて、茶道。
こちらは、とにかく「お先に」という言葉をよく使います。席に入るとき、お菓子を食べるとき、お茶をいただくとき、すべて、一緒に座っている次のお客さんに対して「お先に」と礼をします。自分が先に行く場合と相手を先に行かせる場合の2パターンあります。茶の湯の稽古中、ずっとそのような状態ですから、稽古が終わって外を歩いていても、しばらくはその「お先に」精神が染み付いていて、とても謙虚になっている自分に気が付きます。なので、週に一度でも茶の湯の稽古をすることで、我先に精神に振れていた心がお先に精神に揺り戻される効果があるのではないか、と考えています。日々の稽古が大切なのはそういうところなのではないでしょうか。