差別と区別と平等な権利と。

あまりくわしくは知りませんが、「女性が会議に参加していると会議が長くなる」などと発言をして、オリンピック組織委員会の会長(?)がお辞めになられました。今の時代、それを言ったらアウトであるということが増えましたね。どういう場面でどういう文脈で語ったのか、ということはもはや問われない世の中の雰囲気で、なかなか生き辛くなったなぁ、と思います。

「世界」という言葉がどの世界を指しているのかもよく考えたいものですが、世界ではすでにこのような発言は認められず、日本人として恥ずかしい、というような意見もありましたか。ぼくも外国人のお友だちがいますし、そのような気持ちは大いにわかります。人類が進歩して行く過程にあって、人種や性別などにおける差別をなくし、平等な権利、機会を誰もが得られるような社会を目指していく、その先頭集団に遅れてはいけない、ということなのでしょう。

しかし今回の件では、次の会長は女性で、というのがよく分かりません。男女を差別することなく選びましょう、ということでないと、結局「女性蔑視などをするから男性は選べない」という男性蔑視になってしまうのではないでしょうか。

皆に平等な権利を、ということをしっかり考えずに反射的に批判することは、何か違うような気がします。「平等」という言葉がどこにかかっているかによって、意味合いが大きく変わります。そこを間違えると、「女子スポーツなんて止めて男女一緒にやったらええやんけ」みたいな意見が出てきてしまうでしょう。

ところでダイバーシティって、アクアラング背負った人たちが沢山歩いている街が頭の中に真っ先に浮かびます。

阿呆言うてやんと寝よ。