本屋さんで本を買うと書店のカバーを付けてもらえることがよくあります。子どものころは、なんでカバーの上からカバーかけなあかんねん、との気持ちから、すぐに取り外して読んでいました。そういう性格だったのですが、今は変わりました。できるだけ、書店でもカバーを付けてもらいたいし、自分でカバーを着けたりして読むことがほとんどです。外で読む際、何を読んでいるかを周りの人々に見られなくて済む、というメリットもあります。頭のいい人のなんとかみたいな本を堂々と読んでいると、ああ、あの人は自分のことを頭のいい人と思ってるんだねぇ、なんて思われます。暮らしのなんとかとか読んでいたら、自分はこんないい暮らしをしてるエコでハイセンスな奴でござんすと思ってるんだねぇ、なんて思われます。
いや、これは意識過剰なんですが、あまり何を読んでるとかを大っぴらにはしたくないものです。
子どものころはカバーが嫌いだったのに、すっかりカバー好きな大人になってしまい、なんでもカバーを装着します。スティーブジョブズがiPhoneにカバーを着けてるのを見て激怒したとかなんとか言われていますが、ずっとカバーを着けています。落としても新しいのをすぐに手に入れられる社長は良いけど、ぼくはiPhoneを落として割ったら、また3万円弱を支払わなければならない。それにiPhone5の黒はキズが付きやすい。革製品みたい、育ってきたねぇ、なんて言える代物ではないし、キズだらけなのは好きません。なので、ぼくはiPhoneにカバーを着けて使っています。
ところがさらなる問題が!
ここのところ、カバーが汚れるのが嫌で使えないという状態に陥ってます。阿呆の極みです。この貧乏性をなんとかしたいけれど、やはりガシガシ使う気になれません。これは、ロディアのメモやモレスキンのノートを使うけど、もったいなくてメモらなくなったのに似ています。結局100円くらいのノートのほうが、いろいろメモります。(^^;
そういうことを気にしない、わしゃはだかでつこうとるでどや、というぐらいの態度でやって行きたいのです、本当は。そういう人に憧れます。
結局は金銭感覚の問題なんでしょうか。iPhoneの修理が5000円でモレスキンが1冊100円ならば、気にせず行けそうですから。金銭感覚の問題か…。