答え合わせを急ぐ必要などない。

その昔。90年代の初め。

あるふたりが電車の座席に座り、ペンギンマークのあのブランドの名前は何であるか、ということを話し合っていました。なんやったっけー、なんやったっけー、と出てきません。ポロシャツとかの胸にマーク付いてるやつやんなー、なんやったっけー。と、前に立っていたおばさまが、ささやくように「マンシング」と教えてくれたそうな。

いま、何かが分からないときや思い出せないときには、ネットで検索することによって、すぐにその答えが見つかります。たとえば、孫悟空が頭に着けられている輪っかは何という名前だっただろう、と思い出せない場合など、ネットもケータイもない時代は、友達とふたりで、なんやったけー、と悩むしかありませんでした。本気で知るためには、本屋さんや図書館に駆け込んで、西遊記を紐解き、その表現があるくだりを探さなければなりませんでした。それが、Googleで「孫悟空 頭 わっか 名称」くらい放り込んでおけば、答えがすぐに分かるようになりました。案外、答えを見ずに名称を出し合ってみるほうがおもしろいのは間違いないでしょう。

名称が思い出せない場合だけでなく、何かをやり始めようとするときにも、今はネットで答えを知ることができます。ギターの弾き方、ピアノの弾き方、曲の作り方、などなど、You Tubeで検索すれば、いくらでもヒットします。ぼくは、初めてギターを持ってスタジオに入ったとき、アンプに英語ばかり書いてあり、さっぱり設定の仕方が分からず、ろくな音が出せなかったのですが、今だと、「ギターアンプの使い方」と検索すれば動画で教えてもらえるはずです。でも、これも答えを見ずに、自分なりに鳴らしたほうがおもしろいと思います。それが仕事に必要ですぐに答えが必要な場合は調べれば良いことでしょうが、趣味で楽しんでいるのなら、答えを見ずに工夫したほうがそのプロセスも楽しいってものです。

答えや理由が求められすぎる世の中になったと思います。が、答えも理由もなく行うことにこそおもしろさの醍醐味があるのではないでしょうか。

それが答えだ!

阿呆言うてやんと寝よ。