犬の格好が間抜けだなどというのは差別思想の根源ではないか。

ある柔術ジムの経営者が犬のことについて語っていました。曰く、犬はあまり賢くないとか、肛門を見せて歩いているのが間抜けだとか、性器を舐めたその口で飼主を舐めてくるのが汚くていやだ、とかおっしゃってました。犬が苦手である、ということは分かりますが、その理由がどうも差別的で、そのジムには一銭も落としたくないし、関わりたくないな、と思いました。

その方は、子供が居るようですが、子供も自分の性器をさわった手で、親の顔を触ってくるでしょう。それは良いのでしょうか。人間だから?自分の子供だから?犬が肛門を見せて歩いている、というのも、それは生物の形であり、生まれてきたままの姿です。それが奇形であったとしても、その形が間抜けなどと言うのはとても差別的です。差別思想の根源でしょう。病気や奇形で生まれてきた子供をいじめている人間と同じです。

人間と動物は違う、というのも差別思想の源です。牛は食べて良くて、イルカは駄目だ、というのもその類でしょう。イルカはより人間に近い高等な生物だから保護しなくてはならない、というような考え方です。どうしてそこに線が引けましょうか。

また、別の柔術ジムの経営者が、馬鹿などと人に軽々しく言うものでない。自分はそのように生きてきた、とおっしゃってました。馬鹿と言うためにはそこに大きな愛情の下地がないと駄目だ、というようなことを。たいへん感心し、軽々しく言ってきたかもな、と自省しました。

「阿呆と思われているほうが楽や」と3歳の従姉妹が昔言っていました。すごい3歳児です。ぼく自身はどうかと言えば、かしこに思われたいというくだらない心が今も人間を小さくしています。阿呆は阿呆らしくおおらかに生きねば。

阿呆言うてやんと寝よ。