習ってもできない玉子焼きと、ついに再現できた目玉焼き。

遠足や運動会でお弁当を食べるときに、友だちのおかずをもらったり、おにぎりをもらったりすると、すごく違和感を覚えました。なんじゃこの甘ったるい玉子焼きは!とか、妙な味のごはんやな!とか。やはり味覚は家庭で育まれるものなのでしょう。特に子どもの頃は外食なんてほとんどせず、ひたすら家で食べていました。給食に違和感を感じなかったのは、これも毎日のように食べていたからでしょうか。

自分の育った家庭の味、というものがあり、どうしてもそれを食べたい、と思うこともあります。しかし、これを再現するには料理ができなくてはなりません。ちょっとやそっとでは、味は再現できません。

味噌汁や玉子焼きこそ、家庭によって味付けが違うものでしょう。これらを母から習ったものの、何かが違うのです。いまだ完全な再現には至っていません。

目玉焼きを作ろうとしたとき、ふと母の作ってくれた目玉焼きのことを思い出しました。再現に成功したのです。目玉焼きなんて、焼き加減、塩こしょう、その程度です。手順が少ないので再現性が高かったのかも知れません。ちょうど、母が作っていた感じの目玉焼きを作ることができました。

正直、目玉焼き以外では、ああ再現できた、と感じたことはあまりありません。いったい母はどのような調理法を駆使していたのでしょうか。

探求は続きます。

習うことで何でもできるわけではない、ということが身にしみます。結局は自分の記憶を頼りに方法を考えていくことが必要なんですね。

阿呆言うてやんと寝よ。