道と名の付くものにゴールはない

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ぼくは2013年現在、すでに40歳を超えていますが、茶道の世界では、若手で通用します。もしかしたら、あと20年くらいは若手で行けるのではないかと本気で思ってます。

 

そのくらい年齢層が高いということですが、別の見方をすれば、いくつになってもできるものであるということですね。いいもの見つけました。

 

道と名の付くものは、さまざまあって、茶道、柔道、剣道、書道、弓道、華道などなど、身の回りには道がいっぱい。道とはよく言ったもので、それはずっと道であり、いわゆるゴールなんてものはありません。

 

道を究めた!なんて言っている人の道はそこで終わります。それは到達ではなくて離脱です。道と付くものには到達点なんてないんだ、とぼくは考えます。

 

88歳になられたぼくの茶道の先生だって、月に何度もお家元へ稽古に行ってます。最初は不思議でしたが、今は理解できます。先生もやはり、日々、道を歩いておられるように見えます。頂点であるお家元はどうかと言えば、間違いなく道を歩き続けておられると思います。究まった、なんてきっと思われてないでしょう。

 

道を進むとき、道を歩いてる、道を作っている、どちらにも解釈できますが、とにかくそこにゴールなんてないことには変わりがない。

 

hot buttered pool道もつづいてる。