年明けからずっと善悪について考えています。年明けから、と言わずにじつはもっと前から考えていたように思います。実際考えてきました。
お坊さんに、「仏教は十善戒などと言って、善の指標を掲示しているけれど、それがどうして善だと言い切れるのか?」という質問もしました。ぼくの心にどうしても引っかかるのがそこの部分なのです。
ジハードだと言って人を殺す人たちは、神のための聖戦を行っているのであり、彼らはそれを善いこととしてやっているわけです。人を殺すことは悪いことだ、当たり前のことだと思っているぼくからしてみれば、彼らのやっていることは悪に見えます。
仏教において善を行ったとして、それが誰かにとって悪かもしれないではないか、ということに明確な答えを持てずにいるのです。
無や空という境地があると仏教は説きます。その考え方は好きで、それは善も悪もなくなる世界なのだとぼくは思っています。善悪の彼岸です。自分も誰かも、あいつもこいつもなくなる世界なのだと思っています。そこを目指す仏教がどうして十善戒などというものを掲げるのか。
これはきっと解けない問題なのです。
しかし、解けない問題が存在するということを受け入れるだけで随分と楽になりました。
そんなことに気づかせてくれた本に出会いました。
それはまた別のお話で。