アインシュタインの最期の言葉

einstein

 

スイス、ベルンのアインシュタイン博物館へ行ってきました。
スイス歴史博物館に併設されています。

 

展示は、ユダヤ人(人種そのもの)のルーツから始まります。なぜだろう、と一瞬戸惑いました。しかし、それは彼自身がユダヤ人であったからで、そのことが、のちの人生、もしくは人類の歴史全体に、影響を及ぼしているかも知れないからである、と、展示物を観ながら進んでいくと、理解されてきました。

 

アインシュタインは、ドイツに生まれ、幼少時はミュンヘンに住み、大学はチューリヒの技術専門学校へ、行きました。そこで恋をして、ベルンで家族を作り、ベルン時代の1905年には、有名な論文をいくつか発表しました。その年は「奇跡の年」と呼ばれているそうです。特殊相対性理論も、それらの論文の中に含まれます。彼は、スイス国籍を取得しておりましたが、故郷ドイツにも帰ったことはあります。しかし、ヒトラーのナチスが政権を獲得した後は、アメリカへ渡ったまま、再びドイツの地を踏むことはなかったということです。

 

第二次世界大戦は、ナチスの降伏や原爆投下による日本の降伏で、終りを迎えます。平和主義者であった彼は、戦争に反対し、もちろん、原子力の軍事利用についても大きく反対していました。彼がユダヤ人でなかったり、ナチス政権が生まれなかったり、そんなもしもは考えても仕方ないことですが、大きく世界の歴史は変わっていただろうな、と空想しました。

 

物理学の研究をしてきた彼が、平和活動をするようになっていくのが、おもしろく、人間というものは、一人でもあり、全体でもあるのだな、と考えさせられました。

 

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アインシュタインは、アメリカの病院で、76歳の生涯を終えます。最期の言葉はドイツ語でしたが、その場にいた看護師は、ドイツ語が理解できなかったため、内容は分からないまま、となっています。

 

うかつに予想できない、気の利いた謎を残したものです。