ミルキルはミルルキルルに変わっていく

soko

 

観てきたコードからできました

この曲は、Cコードのリフで始まります。今でも何のコードなのかは知りません。ただのCではないです。好きなバンドのライブを観に行って、指のポジションを観て盗んで来ました。確実ではありませんが、本人はそのつもりです。Cのこのコードを鳴らすにもいろんなポジションがありますが、この曲で押さえているのは、太い弦から3本を使ったもので、この響きが最初にありました。

 

男女ともう一つの何か

悩みに悩み抜いて、考え込みながら食事をすると、「味が分からない」という状態になることがあると思います。歌詞冒頭の「味のないレモンをかじり」というのは、そういう状態です。そして、「うしろで盗み聞きをする」のは、うまく行かない男女の関係が示唆されていて、「身体は期待を塗りたくり」、「崩れた話題を見届ける」のです。盗み聞きしている先には何かがあります。相手の人だけではありません。これは男女だけではなく、「もうひとつの何かと男女」をテーマにした歌です。

 

「どこか そこか いつか ここへ」

「そこ」は、底かも知れません。それはどちらにでも考えられます。タイトルの「ミルキル」もカタカナにしたのは、「見る」「観る」「診る」「視る」「看る」「mill」「着る」「切る」「斬る」「kill」などの選択と組み合わせがイメージできるように考えています。でも、歌の最後には「ミルルキルルミルルキルルルル」とそれらの言葉のいずれでもないものになっていきます。

 

「その手をきる」

サビには「その手をきる」と歌います。「きる」をいろいろ当てはめることで、意味が変わりますので、歌っていても毎回解釈が変化するし、演奏者としても楽しい部分です。イメージされやすいのは、「関係を絶つ」ことと「手首をカット」することではないでしょうか。

 

「ぼくはあなた」

間奏の終わり、最後のサビに入る前に「ぼくはあなた」と叫びます。ここの展開は、ただ光っている石を追いかけていただけなのに、こんなことになるなんて・・といったところでしょうか。この叫びを境にこの歌の主人公は、崩壊していきます。思いつめすぎて、主客が一体となったのか、ぼくなんだかあなたなんだか分からなくなってしまうのです。もしくは本当に相手の人とひとつになったか。そして、その手を「きる」し、やがて「みる」や「きる」はどんな言葉も当てはまらない、「ミルルキルルミルルキルルルル」というただの響きとなります。

 

「どこか そこか いつか ここへ」

エンディングの「どこか そこか いつか ここへ」は、まさに「どこか?底か?」と言っているようで、崩壊してしまった主人公が底の方から呻いているようです。孤独な状態になって終わりますが、本当は最初から何かあったわけでもなく、孤独であったのかも知れません。

 

では、完成品をどうぞ!

 

以上、「ミルキル」のご紹介でした。

でも、あなたにはあなたの「ミルキル」があります。

「ぼくはあなた」です!