小池龍之介さんの坐禅セッションに三たび参加

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前回に参加したとき、小池さんは最近調子が良いとおっしゃってました。調子が良いというのは、坐禅修行の調子のことです。

 

おそらくは、坐禅により、呼吸と身体に意識を向け、その感覚をつかまえることがうまく行っているという状態なのだと思います。そういう状態にまでなれば、坐禅をしていないときにも呼吸と身体の変化に気づきやすくなりますので、煩悩を静めた、仏教的に理想的な生き方ができるのです。

 

うらやましい。

 

さて、どうしてぼくが小池龍之介さんの坐禅セッションに行くのかといえば、それはお話を聞きたいからです。坐禅セッションでは、単に集まって坐禅をするだけでなく、坐っているいる最中にも、小池さんの説法を聴くことができます。なので、その場で良い感じの坐禅ができるかといえばそんなこともないのですが、あとで自分で坐禅を組む際に、どういう感覚を掴みながら行えば良いかのヒントを沢山得ることができるのです。お話は大変ためになります。

 

そしてもう一つ。
大変失礼ながら、小池龍之介さん自身がそれほど達観された感じではなく、我々に近い感覚を持っていらっしゃるところが好きなところです。著作を読めばよく分かります。ご自身の気づきをサンプルしてくださいます。

 

「このボールペン、使えないから捨てるね」。そう家族に申しましたら「え? まだ使えるのにもったいない」という言葉が返ってきます。

その口調にかすかな避難が含まれていることに身構えつつ、「いや、ほら、インクがもうないから書けないんだよね」と示して相手が納得した際に、筆者の心にちっぽけな「勝利感」が生じているようでした。

 

こういうのを読むと、ああ、ぼくたちと同じような感情がふつうに芽生えて、それに対処してらっしゃるんだなぁ、と分かります。

 

また、お答えも、いわゆる禅問答の形にならず、しっかりと向き合って具体例を挙げながらお話しくださいます。いかにも禅っぽいのが好きな人には物足りないかもしれませんが、ちょっとカフェで議論したいな、というくらいの感じで相談できるので、ぼくには合っています。

 

次回の参加までには、呼吸と身体の感覚をもっとつかめるように稽古しておきたいと思います。