不平等なオリンピックで平和を語れるのか。

感染症が世界中で流行している中、何とかオリンピックを開催しようと、日本政府が必死になっているように見えます。オリンピックどころではない人たちにとっては、もうどうでも良くなっていることでしょう。しかし、政府の必死さを見ていると、相当な利権がそこにはあって、簡単にはやめられない事情があるのだろうなと想像できます。

GoToキャンペーンについても、簡単にやめられない事情がありそうで、メディアを通じて高級温泉宿にこんなに安く泊まれます!みたいなことを垂れ流しています。陽性者数が増加してきても、GoToキャンペーンと陽性者数の増加との因果関係をうやむやにしてキャンペーンをやめることはしない方針です。

その結果、メディアで煽られて、行かなきゃ損!とばかりにGoToトラベルしている人たちが、「我慢の3連休に旅行なんてしている阿呆な人たち」として冷たい目で見られるという憂き目にあっているように見受けられます。

この調子だと、オリンピックも同じことになるでしょう。まともに練習ができなかった人たちも大勢いて、たいへん不平等な条件で開催されるのは見るに耐えない。「人類が感染症に打ち勝った証として」開催されようが、その不平等さからは目を背けてはならないと思う。

必死になってもろくなことはありませんな。

阿呆言うてやんと寝よ。