• 2020年11月7日

コロナ禍の炉開き

2020年の春夏は、密集してはならない、密接に過ごしてはならないということで、密の極みである茶の湯には厳しい期間となりました。今でもそれは続いており、マスクを着けたままでのお稽古となっています。もちろん、茶会、特に大寄せの茶会はほとんどすべてが中止となり、着物を着て出かける機会もまったくありませんでした。 夏に社中でのお稽古が再開し、マスク茶の湯の方法を探りはじめました。名残りの秋になり、久しぶり […]

  • 2020年10月31日

意味を見失うことの怖さ

人生に意味はあるのか、ということを誰でも一度は考えるものでしょう。そこに意味を求めるがために落ち込んだり、悩んだり、喜んだりするのではないでしょうか。闘病生活も治療に意味を見いだせなくなったときに途方に暮れるといいます。 犬を観察していると、そこらじゅうを嗅ぎ回り、何かしらの目的を持っているようにも見受けられます。しかし、意味があるのか、と思い悩む感じはなさそうです。意味なんて考えている暇があった […]

  • 2020年10月24日

とりあえず完成させることの重要性

ここ10年くらい、まともに曲ができません。正確には、作ろうとしているのですが、まとまりません。完成に至りません。何かへのこだわりが増大して、それを解決しないことにはどうにもならないと思い込み、結果何も完成しない、ということになっているように思います。 ぼくは芸術系の大学へ通っていましたが、課題の提出にまったく間に合わない人というのが結構いました。提出期限が来ているのに、100分の1くらいの完成度し […]

  • 2020年10月17日

おばあちゃんとの会話

ここで言うおばあちゃんとは、血のつながりのあるおばあちゃんではありません。失礼ながら、先代のお茶の先生のことを指しています。先代先生は、20代からお茶の先生をされていたそうです。しかもお家元の直門として94歳でお亡くなりになるまで、ずっとご自身も稽古されていました。 同門のお弟子さんたちに話をうかがうと、先生は昔は大変厳しかったそうです。ぼくが入門してからの個人的な印象は、大変甘やかしてくれるおば […]

  • 2020年10月10日

お釈迦さまの入滅。お茶の先生が亡くなった日のこと。

夏の暑い日。先生はお亡くなりになりました。 その日の朝、お茶のお稽古日でしたので、いつもの通り朝から先生のご自宅でもある稽古場に参りました。その頃の先生は、癌を患い疲れやすくなっておられたので、少し稽古をつけては、ちょっと席を離れてお休みになる、という感じでした。でも、その日は最初から先生の席は空いていました。そして、弟子たちによる自習が始まりました。 少しして、先生の娘さんが、先生が呼んでいるの […]

  • 2020年10月3日

本当に欲しいものを知る方法

小学生くらいの時に持っていたものや欲しかったものを大人の財力に任せてもう一度買ってみたり、ようやく手に入れたり、ということをしてしまいます。持っていたけど捨ててしまったり、手放してしまったりしたものをもう一度オークションでプレミア価格代金を上乗せして、また買うというようなことも行います。 どうして、こんなことをしたくなるのか。一旦要らないと思って捨てたのに買い戻したのはなぜか。その理由は難しいもの […]

  • 2020年9月26日

国民のために働く内閣。犬のために働く人間。

久しぶりに日本の総理大臣が代わって、官房長官を務めていた人がその座に就きました。組閣して、言った言葉が「国民のために働く内閣」でした。聞いた瞬間、あたりまえやんほんなもん、と思わず口に出してしまいましたが、よくよく考えてみると、それまでの内閣は国民のためにはやって来なかったということを自ら吐露しているようなもので、これは案外深い意味なのか、とも感じました。つまり、「国民のためにやってる風内閣」だっ […]

  • 2020年9月19日

お掃除ロボットとの格闘。人に仕事を頼むときの心得。

ぼくはずっと、人に仕事を頼むのが下手だったように思います。サラリーマン時代、部下ができても、仕事を任せるということが苦手でした。自分でやるほうが早いから、というのが主な理由でした。それは当たり前で、部下よりも多く経験を積んでいるし、自分にはその仕事を最後までやるとこうなるというイメージがあるし、要領も得ているものだから、早いに決まってます。そこを耐えて、育成する意味も込めて、仕事を任せることが大切 […]

  • 2020年9月12日

さしで遊びたい下戸のたわごと。

ライブハウスに行くようになったのは、十代の後半から。大きなコンサートホールではなく、比較的小さなライブハウスが良かったのは、来ている客同士の距離感でしょうか。話さずとも、またあの人来てはるわ、と認識できて、その感覚が楽しかった記憶があります。 いま考えれば、これは行きつけのバーや喫茶店でも起こる現象なので、特別にライブハウスだったから、ということでもないかもしれません。もしかしたら、ゲーセンやパチ […]