• 2020年9月26日

国民のために働く内閣。犬のために働く人間。

久しぶりに日本の総理大臣が代わって、官房長官を務めていた人がその座に就きました。組閣して、言った言葉が「国民のために働く内閣」でした。聞いた瞬間、あたりまえやんほんなもん、と思わず口に出してしまいましたが、よくよく考えてみると、それまでの内閣は国民のためにはやって来なかったということを自ら吐露しているようなもので、これは案外深い意味なのか、とも感じました。つまり、「国民のためにやってる風内閣」だっ […]

  • 2020年9月19日

お掃除ロボットとの格闘。人に仕事を頼むときの心得。

ぼくはずっと、人に仕事を頼むのが下手だったように思います。サラリーマン時代、部下ができても、仕事を任せるということが苦手でした。自分でやるほうが早いから、というのが主な理由でした。それは当たり前で、部下よりも多く経験を積んでいるし、自分にはその仕事を最後までやるとこうなるというイメージがあるし、要領も得ているものだから、早いに決まってます。そこを耐えて、育成する意味も込めて、仕事を任せることが大切 […]

  • 2020年9月12日

さしで遊びたい下戸のたわごと。

ライブハウスに行くようになったのは、十代の後半から。大きなコンサートホールではなく、比較的小さなライブハウスが良かったのは、来ている客同士の距離感でしょうか。話さずとも、またあの人来てはるわ、と認識できて、その感覚が楽しかった記憶があります。 いま考えれば、これは行きつけのバーや喫茶店でも起こる現象なので、特別にライブハウスだったから、ということでもないかもしれません。もしかしたら、ゲーセンやパチ […]

  • 2020年9月5日

ため息は悪いことなのか。犬のため息に習う。

犬はよくため息をつきます。 どのようなタイミングかというと、エサを食べ終わって横になって、ふぅー。ひとしきり遊んだあとにフセして、ふぅー。飼い主にナデナデされまくって、ふぅー。においをかぎまくったあとに、ふぅー。などです。 観察していますと、退屈やなぁ、というタイミングでのため息はないように思われます。退屈なときはまた別の方法で示します。ため息を聞いたとき、退屈でもしてるのかな、と初めは思ったので […]

  • 2020年8月29日

試合に勝つ方法はさまざまだけれど試合に負けるときは大体これで負ける。

試合に勝ちたければ、相手のことをナメてはいけない。 ブラジリアン柔術をやるようになって、試合というものに挑むようになりました。白帯での初めての試合では、恥ずかしながらマジ泣きすることになりました。道場での練習のときも自分より大きく強い先輩ばかりなので勝てるわけもなく、そんな人間が試合に出ても勝てることがないのは明らかです。冷静に考えればそのようなことは分かりそうなもの。冷静に考えていなかったので、 […]

  • 2020年8月22日

犬と暮らせる時間。稀少価値と人生の残り日数。

犬と暮らしはじめて、犬をなでる機会が沢山あります。 だらんと横たわって、大人しくなでられている犬を見ていると悲しくなってきます。横たわっているのを見て、この犬が死んだときのことを想像してしまい、悲しくなるのです。我ながら阿呆だなと思うのですが、何度もそうなってしまいます。 どうしてそのようなことに陥ってしまっているのかということを考えてみると、必ず自分が犬より長生きをするであろうという思いの傲慢さ […]

  • 2020年8月15日

そこそこ良い物が簡単にできる世の中

お昼にナポリタンスパゲティをこしらえました。 お腹いっぱいナポリタンスパゲティを食べたい、と思って、それを自分で食べたいだけ作ることができるようになったのは、人類にとっては小さな一歩だけど、ぼくにとっては大きな飛躍です。 料理をするようになったのはここ10年のことで、それまでは、全くと言って良いほどに取り組んできませんでした。20代のとき、ひとり暮らしを始めるにあたって調理器具を買いそろえ、料理の […]

  • 2020年8月8日

絶対的な幸せ、相対的な幸せ。

10代後半から20代前半。ぼくは幸せということに執着していました。 それは単なる幸せではなく、「絶対的な幸せ」というものでした。 なんだかわかりませんが、比べて幸せ、というものが許せなかったのだと思われます。オレは絶対的な幸せというものを追求しているのだ、と他人にも言っていましたので、大変めんどくさい奴だったでしょう。すみません。 1999年7の月、ノストラダムスの大予言が外れ、30歳を過ぎても生 […]

  • 2020年8月1日

お茶の先生が亡くなった。そこに先生がいない「だけ」の稽古場。

亡くなってからふた月ほど経って再開した稽古場。 たしかにいない。先生はもういない。そのことは理解しているけど、茶室や道具からは先生の気配が感じられて、ただ、いつも座っておられた場所に先生がいない「だけ」。その他はすべて何も変わらない。   ぼくの先生は晩年、娘さんに外向きの活動や家事のことをほとんど任せて、お茶のお稽古に専念されているように見えました。亡くなったあとは、その娘さんが継ぎ、 […]